西澤健一 オペラ『卍』世界初演(2017年11月17日)

西澤健一氏の作品を初めて耳にしたのは、チェコ留学から帰って来て大学院に復学した2003年頃のことだったと思う(正直に述べると、正確にはいつだったのか今では思い出せなくなってしまっている)。氏が開設していたウェブサイトにアップロードされていたピアノ・ソナタの自作自演音源をたまたま見付けたことが、氏の音楽を知るきっかけだったかと思う。今となっては懐しい Real Audio の低ビットレート音源で音質は悪かったものの、楽曲の骨格がとてもしっかりしている上に、実に熱い(と同時に実に暑苦しい)音楽にすっかり魅了されて、ファンになった。日本の芸術音楽の作曲家には失望することが多かったというのに、今でもこんなとてつもない才能の持ち主がいるものだ——とひたすら驚嘆し、感動したことを覚えている。また、折々に書かれた音楽やその他のことどもについての文章も内容が滅法面白い上に言葉も非常に巧みで、時間を忘れて貪り読んでいた。そんなこんなで、作品の音源とともに、ブログに載せられた文章もいつしか RSS リーダーを使って小まめにチェックするようになっていた。

西澤氏が自己紹介をする際には、「クラシックの作曲家」という言葉をしばしば用いている。現役の「クラシックの作曲家」と言えば、とかく難解で旋律や明確なリズムが存在しない訳の分からない、「音楽」と呼ぶのも憚られる代物ばかりを書いている人ではないか——という先入観を持たれる方も少なからずいらっしゃるかと思う。だが、西澤氏が現在書いている音楽は、そうしたものではまったくない。むしろ、明確な調やリズムを具えた実に美しく端正な旋律が横溢する音楽を書いている作曲家の一人である。一般にはあまり知られていないことだが、今日の芸術音楽の作曲家の中には、調性音楽をもっぱら書く人が増えつつある。こうしたことに鑑みると、現在の氏がもっぱら調性音楽を書いていることは、今となっては特段珍しいことでも何でもない。とは言え、それまでに聴いたことがあった、現役で活躍している芸術音楽の作曲家の手になる「聴きやすい」調性音楽と西澤氏が発表されている調性音楽との間には、きちんと言語化しにくいものの、どこか違ったものがあるのではないか——とずっと感じている。いわゆる「現代音楽」をかたくなに拒絶し、ありもしなかった「古き良き時代」を懐しむポーズを取っていたり、中世から今日に至るまでの西洋芸術音楽の歴史の中に自分の音楽をどのように位置付けさせようとしているのかという問題に無関心なまま、ひたすら己れの耳の快感を満たすことに腐心していたり、あるいは「耳当たりの良い」安易な音を並べつつ、「分かりやすい」物語を音に添えてやることで聴衆を「感動」させたり、あるいは煽動したりすることによって商業的な大成功を狙おうとしていたりする手合いとは、西澤氏は明らかに一線を画している。聴きやすい音楽ではあるものの、いつもどこか引っかかるものが存在しているように思えてしまうのだ。

「現代音楽」あるいは「現代音楽《業界》」において規範とされている手法(早い話が、無調をベースとした書法)に基づく実作を経験しつつも、自己の内的な表現の欲求に真摯に対峙した結果、調性で音楽を書き始めたことに関しては、氏自身がブログで述べている。この点においては、調性音楽に回帰した他の芸術音楽の作曲家の多くと似たようなコースを辿ったと言えるだろう。だが、氏の作品を聴いたり弾いてみたりしていると、調性音楽の創作を行っているからと言って、それまでの「現代音楽」の書法を採用していた頃の理念を単純に放棄したとはとうてい思えない。むしろ、氏はあえて調性音楽の枠組の中にとどまりつつ「現代音楽」の理念をさらに深め、発展させてゆこうとしているのではないか——と思う。なにせ、氏はチャールズ・アイヴズの音楽を聴いたことがきっかけで、作曲家になりたいと思った人なのだ! あのハードの極みとしか言いようのない音楽に憧れて作曲を始めたという人が調性音楽による創作を行ったところで、なまっちょろい音楽を書いて大金を稼ぐことに安住できるなどと思えようか。そうした「前歴」があろうとなかろうと、氏の音楽はとても素直に楽しめるものの、単に「耳当たりが良い」だけの音楽に決して安住してはいない。実際、手元にあるピアノ曲や歌曲の譜面を読んでみると、どうしてそこでそんな変な転調をするのかだとか、どうしてそんな展開に持って行ってしまうのか、としばしば仰天させられたり、ニヤニヤしながらも頭を抱えてしまったりもする。しかし、譜面を最後まで読んでみると、「やはりこうでなければならないのだろうな」という感じで妙に納得させられてしまう。

(この点において、ショスタコーヴィチやブリテンやプーランク、それからプロコフィエフといった、20世紀後半においても原則的には調性のシステムに基づく音楽を書き続けていた西洋芸術音楽の大家たちの作品を彷彿とさせる。彼らはあくまでも調性音楽を書き続けていたが、同時期に華々しく活躍していた「現代音楽」の旗手と言われている人たちの「前衛的」な作品よりも「古い」などということは、決してない。彼らの作品には、いわゆる「現代音楽」の人たちが求めていたものとは異質の「新しさ」が厳然たるかたちで存在している。そして、それと同時に、「現代音楽」の人たちが作品の真実性を追い求めていたように、調性のシステムの枠組で作品を創作していた人たちもまた、自らの作品の真実性を求めていたことに間違いはないのだから。)

こうした体験を何度もしているうちに、わたしは西澤氏の作品はもしかすれば「現代音楽」の一種ではないかと考えるようになった。もちろん、これは厳密な楽曲分析による論証を経て導出した結論ではないので、あくまでもわたし自身が音源を聴いたり楽譜を読んでみた際に得た印象批評に過ぎないことを断わっておく。(なお、仲間内では、こうした意味を込めて、氏の作品を「ゲソオソ経由の調性音楽」だとか「調性音楽の皮をかぶったゲソオソ」と戯れに評したりしている。)

前置きがものすごく長くなってしまったが、そろそろオペラ『卍』世界初演の感想に入ることとしよう。

氏の日本語歌曲ではいつものことだが、スコアやリブレットを見なくとも自然に聴き取れる台詞回しだった。実際に聴いてみて驚いたのは、東京出身でご親戚には関西出身者が一人もいないという西澤氏が80年以上前の大阪弁、それも船場言葉に自然に鳴り響く旋律を付けていたことである。言わば、船場言葉の「ノン・ネイティヴ・スピーカー」が大阪弁に関する研究資料を駆使して付曲をしていたのである。チェコ語の台本を用いてオペラを書くためにチェコ文語を40近くになって勉強し直したスメタナをどこか思わせたりもする。ただし、単に大阪弁のデクラメーションが正しかったというだけではない。谷崎の原作を読んだ際には全く合点が行かなかった綿貫の人物像や心理が、西澤氏によって節を付けられ、岡元敦司氏のメリハリの利いた歌唱と怪演によってようやく掴めるようにもなったのだ。これには本当に驚いた。綿貫に限らず、どの役柄も声楽家にとってはとてつもない難物だったと思うが、まったく違和感なく聴けただけではなく、悔しいかな、またまた最後に泣かされてしまいもした。幕切れ寸前に光子が唱えるお経——この場面は原作にはない——が実に痛切に響いた。驚くべきことに、音の作り方は「和風」の音などではまったくなく、ムソルグスキーが生涯にわたって歌曲においてよく用いていた和声(『小さな星』に典型的に現れるもの)を応用していたものであった。単に奇を衒ったり、ウケを狙っただけのものでもなかった。音楽ならびに物語の結構の双方から必然性のある幕切れの音楽だと感ぜざるを得なかった。

音楽的な側面に注目すると、これまで聴いてきた氏の日本語歌曲以上に多彩な音のパレットが駆使されていた。ラヴェルなどの20世紀のフランス語圏で培われて来た和声法や楽器法を思わせる音の運びが活躍するかと思えば、関西でよく歌われていたわらべ歌や民謡、そして落語や浪曲のお囃子、あるいは演歌を彷彿とさせるどこか懐しい感じのする音組織や節回しが流れ出したりする。また、第2幕においては突如としてビゼーの『カルメン』を彷彿とさせる音楽が支配的になる。さらに驚くべきことに、全3幕を通して、光子の台詞回しには浪曲そのものというような箇所もたくさん出て来て、思わず聴き惚れた。そして、先述したように、幕切れにおいては、あたかも劇中の登場人物と聴衆にとどめを刺すかのように、ムソルグスキーが愛用していた和声進行が登場したりもしたのである。このように記すと、単なる「ごった煮」だったのではないかだとか、あるいは土俗的素材のつぎはぎメドレーに過ぎなかったのではないかと思われてしまうかもしれない。だが、実際には、そうした代物とは無縁の、きわめて有機的な統一が実現されていたのである。先述したさまざまな音の姿がまったく違和感なく現れたり消えたり、そしてある場面において再度現れ、別の素材と組み合わせた新たな変奏や展開が行われたりしていたように思う。まだスコアを読んでいないのでわたしの耳がどこまで正確に音の姿を把握できていたかどうかは自信がないのだが、これらはみな4人の登場人物がキーとなる場面において発する大阪弁のイントネーションやリズムを源泉としているのではないか、と思った。ある特定の心理状況にはある特定のパターンに分類される紋切型の旋律を当てはめてゆくといった、19世紀以前の芸術音楽によくあったような手法ではない。そうではなく、ある心理状況下に置かれた人物が発する旋律のリズムと抑揚のあり方がその場の音楽の形(調構造やリズム構造や音色)を規定するという路線で全体が組み立てられているのでないか——と感じた。ここですぐに連想したのは、ヤナーチェクの音楽語法である。『イェヌーファ』以降のオペラでヤナーチェクが実現させた動機労作の手法そのものを氏が応用していたかどうかは、わたしには分からない。だが、「発話旋律」と歌唱の旋律との関係をめぐる理論的な考察を実作者としての「直観」でもって氏が完璧に理解した上で作られていたのではないか、と感じた(ヤナーチェクが話し言葉と歌の言葉との関係にまつわる問題に終生取り憑かれていたことは比較的よく知られていると思うが、この問題は彼の音楽理論における重要な位置を占めていただけではなく、1900年代から最晩年の1920年代にかけて発表していた音楽理論一般を扱った著作やモラヴィア民謡の音楽的側面を扱った著作において何度も論じ続けていた)。そして、こうした素材の多様性を存分に発揮させると同時に全体の有機的統一性をも実現させる時にこそ、(パンフレットに書かれていたものの、一読した際にはどういうことなのかピンと来なかった)ドヴォジャークがさまざまな作品において駆使していた手法を参照したのではないか——と理解した。

最後になったが、本当に素晴らしいオペラの世界初演に立ち合えて、とても幸せだった。終演後のお酒が本当にうまかった! 作曲家の西澤さん、演奏家のみなさま、そして裏方を担当されたすべての方々に心からの感謝の気持ちを表したい。東京での再演はもちろん、大阪弁の「本場」である大阪やその他の地方での初演が実現する日を心待ちにしている。このオペラは、何度も何度も再演されることを通して、聴衆と演奏家によってさらに逞しく育て上げられてゆくべき作品である——と強く信じている。氏の『卍』は、日本語を用いたオペラにおける画期的な傑作として残ってゆくことだろう。

追記(2018/04/18): なんと『卍』の再演が決まった! 詳細は、新宮さんのブログのこの記事を参照されたし。

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