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6月, 2017の投稿を表示しています

【PCメモ】glibcライブラリがないと言われてSlackwareが起動しなくなった!

読んで字の如しという話なのだが、先日サブマシンのThinkPad X61にインストールしている Slackware64 current(早い話が、人柱御用達ヴァージョン)のソフトウェア一式をアップグレードさせて再起動させたところ、

GLIBC_2.25

云々と書かれたメッセージが大量に表示されて起動できなくなってしまった。要するに、glibc の共有ライブラリのバージョン 2.25 に依存している大量のアプリケーションやライブラリを起動させることができなくなって、OS 自体を起動させることができなくなってしまった、ということである。

このトラブルの原因は、明らかだ。昔からずっと愛用している Alien Bob こと Eric Hameleers 氏による multilib パッケージや独自ビルドが slackpkg コマンドによって自動的に slackware 公式のビルドに置き換えられないようにしようと、/etc/slackpkg/blacklist ファイルにおいて

[0-9]+alien

という設定を書き込んでいるためだった。

原因がすぐに分かったとは言え、起動させられなかったらてんでお話にもならない。だが、ここで再インストールなどしてはいけない! 早まってはならぬ。Ubuntu や Debian ならいざ知らず、相手は Slackware だ。インストール作業それ自体はほんの2時間ぐらいで終わるし、下手をすると Windows のインストールよりもはるかに簡単に済むことであろうが、自分好みの環境を復旧させるのに軽く1週間はかかってしまう。いろいろと書き仕事の案件を抱えている身にとっては、時間と労力の無駄以外の何者でもない。こういう時にこそ、インストール時に使われたであろう OS のインストールディスクを使おう。Windows のインストールディスクと同様に、Slackware のインストールディスクもレスキュー用途でフルに使うことができるのだ。だからこそ、こうした状況に陥ってしまっても、まずはコーヒーや茶などを飲んで気持ちを落ち付けてから、インストールディスクと空き容量が十分にある適当な USB メモリを探し出そう。

復旧させる方法についてだが、大まかには Re-installing lilo from a Slackware boot CD に記されている手順を…

クラウドファンディングのご案内: 「知られざるシマノフスキの魅力を日本で」

知られざるシマノフスキの魅力を日本で。デュオ・リサイタル開催

なんとまあ! 東京藝大でさえもクラウドファンディングをしなければ資金繰りができないとは、いったいどういうことなのだ……。こう思わずにはおれなかったのですが、お財布に余裕のある方はどうかこのプロジェクトをサポートしてください(すでに目標金額に到達しているとのことですが、この種のイヴェントを健全な形で開催するには、やはり1円でも多くのお金が必要となります)。お財布の紐が固くてどうしようもないという方は、どうか代わりに情報を拡散してください。

シマノフスキの音楽は、豪華絢爛で洗練の極みにあると同時に、つねに表現が過剰で鈍重で土臭くもあるところが魅力的だといつも感じております。とりわけ、ポーランド南部の民俗音楽に着想を得て書かれた晩年の作品群には、シマノフスキ以外の人間には到底作り上げられなかったであろう独特な音世界があります。『スターバト・マーテル』やピアノのための一連のマズルカなどが、その端的な例として挙げられます。未聴の方は、これを機会にどうか YouTube などでお聴きください。両大戦間の中央ヨーロッパやロシアで作られた芸術音楽にご関心がある方でしたら、きっと楽しめることと思います。

ドイツよりも東の地域で作られた芸術音楽を積極的に広めることは、独墺・仏・伊以外の地域を出自とする音楽作品をとかく「イロモノ」扱いしがちである、この国の西洋芸術音楽愛好家ならびに専門家の視点を少しでも広く、そして少しでも柔軟なものにすることにもつながってゆくものと信じております。ですから、わたしもきわめて微力ではありますが、このプロジェクトに貢献しようと思います。

Xfce4 で ThinkPad T400 のタッチパッド手前にある2つのボタンを無効化させたい!

最近までは ThinkPad T400 を自宅で使う際にはもっぱら Happy Hacking Keyboard Professional2 をつなげて使っていたのだが、文学作品、なかんずく屋号にもしている『気まぐれの夏』の翻訳などという無茶なことを本気でやり始めると、あっという間にデスクの上には辞書やら本やらが大量に散乱してしまう破目になる。そうなると、外付けキーボードをどこかにどけてから ThinkPad 本体のキーボードを使って、少しでも本や文房具を置けるスペースを確保してやらないと、どうしようもなくなってしまうのだ。そうなると、ThinkPad のキーボードを直接叩くことになる。IBM時代に製造された大昔の機種であれば、何の問題もなかったのかもしれない。ところが、いつの頃からかいろいろと「要らない」ギミックが付けられるようになったが、なかんずくタッチパッドとタッチパッドの手前側に付いている二つのボタン、それから(IBM時代の機種からもあったとは言え)ブラウザキーこそが、その最たるものではなかろうか。意図せず触れてしまって予期せぬ動作をされた末に大あわてしたという経験をお持ちの方は、決して少なくなかろう。

Windows を動かしている場合だと、Lenovo のサイトから然るべきアプリケーションをダウンロードしてインストールしてしまえば、事はすべて解決できてしまう。また、Linux を使っている場合であっても、X Window System(以下では、Xと略記)上でタッチパッドとブラウザキーを無効化させることはきわめて簡単で、実際ウェブ上には設定方法を記したサイトがたくさんある。だが、その一方で、X を動かしている時にタッチパッドの手前にある、あのむくつけき二つのボタンを無効化する方法について説明したサイトについてはなかなか見付けられなかったので、ずっと不本意な挙動を甘受せざるを得ない状態だった。だが、幸いなことに、分かりやすい解説を最近になってようやく発見できた。次のサイトが、それである。

タッチパッドの下手前側ボタンの無効化 on linux

上記のサイトで解説されていることがらに一言付け加えておくとすれば、ズボラをしてこの方が書かれているコマンドラインをそのままコピペしないことという一言に尽きる。機種ごとに装着されているハードウェアが異なっているのだか…

【イヴェントのお知らせ】朗読&トーク・イベント 「ワシーリー・グロスマンの夕べ」

朗読&トーク・イベント 「ワシーリー・グロスマンの夕べ」

(上記サイトからの引用です。)

<予告>

朗読&トーク・イベント
「ワシーリー・グロスマンの夕べ」

ワシーリー・グロスマンの朗読&トーク・イベント、日程が確定しました!

この夏、関西のちょっと変わった三つの場所にて、東京と大阪で活躍中の俳優陣を交えて、別々のテクストの朗読と解説による「ワシーリー・グロスマンの夕べ」(仮)を開催いたします。

➀「ユダヤの運命と共にあったロシア作家」(仮)
7月29日(土)夜@カフェ・ルーデンス(西宮・夙川)

②「二つの全体主義に抗して」(仮)
8月19日(土)夜@居留守文庫(大阪・文の里)

③「トレブリンカの地獄――20世紀の悲劇」(仮)
8月20日(日)夜@オンガージュ・サロン(大阪・寺田町)
※ ピアノ&クラリネットの演奏つき(予定)

【朗読】
・志賀澤子(東京演劇アンサンブル)
・石田雅章
・宮本 荊(LifeR )
・赤尾光春

【構成】鈴木径一郎(sputnik.)

【演奏】
・呉多美(ピアノ)
・樋上千寿(クラリネット)

【解説】赤尾光春(大阪大学/関西学院大学・非常勤講師)

【ゲスト】検討中

詳細は追ってお知らせいたします。

乞う、ご期待!

(引用終わり)

先日みすず書房より刊行された『トレブリンカの地獄――ワシーリー・グロスマン前期作品集』の中からプロの俳優による朗読会と翻訳者の直立演人こと赤尾さんによるレクチャー、そして3回目の会場では何と劇伴まで入るという実に豪華な会になるようです。

この一連のイヴェントには是非とも顔を出さねばなりません! 作家や詩人の自作自演は言うまでもありませんが、翻訳者による朗読会もまたもっともっと開かれるべきだと思います。音楽や演劇や舞踊と同様に、文学もまた時間芸術の一ジャンルであるということを、わたしたちは下手をすると忘れがちです。とは言え、よくよく考えてみたら、詩歌であれ散文であれ戯曲であれ、文学作品(とされているもの)の字面には西洋音楽で用いられている定量記譜法とは違って、音価や音高や音の相対的強度や速度などは厳格に指定されてはいないものの、字面の配列それ自体がネウマ譜や浄瑠璃における文字譜と胡麻譜のような働きをしているものであると言えましょう。そう考えると、書かれた言葉の朗読もまた時間芸術という観点から捉えるべきでしょう。(…

「快楽差別狂」としてのレイシスト

大阪高裁 「人種差別と女性差別との複合差別」在特会敗訴

至極当たり前としか言えない判決だ。とは言え、原告の李さんだけではなく、日本国内に住む人たち全員に向けて裁判所が良心を示してくれたことを、とても有難く思っている。それにしても、救い難い快楽差別狂である自称桜井誠こと高田誠の名前がなぜこの記事では伏せられているのか、謎である。高田が「日本第一党」なる政治団体まで立ち上げて派手な活動をし始めていることを考えると、もしかすればこの団体の宣伝にならないようにするための措置なのかもしれない。

なお、「快楽差別狂」という言葉は、言うまでもなく「快楽殺人狂」をもじって造語したものである。レイシズムが強姦と同様に「魂の殺人」であるということだけではなく、レイシストたちはあくまでもそうした「魂の殺人」を行うことに快感を覚えているのであって、思想的な主張をしているのではまったくないということをも端的に示すには、ああいうどぎつい言葉で形容してやるのが最も適切だと考えた。レイシストたちがいかに差別を楽しんでいるかについては、YouTubeなどで差別デモに参加している連中の薄ら笑いの醜悪さをご覧になってほしい。(ここには具体的なリンク先は示さない。) もしかすれば差別用語を使うなという批判が出て来るかもしれないが、わたしは差別主義者を差別してはいけないなどと思うようなやさしい人間ではまったくない。自分の言動を本当に悔い改めない限り、レイシストにはいつまでも、そしてとことん冷たい態度を取り続けるので、悪しからず。そしてまた、かりに改心したところで、それまでの所業はチャラにはされないどころか、良き行為を実践することをもって一生をかけて償ってゆくべきだと考えている。

「ヴォイニッチ手稿」に関する新説が、さらにもう一つ!

学生の頃に入っていたサークル先輩から紹介されたチェコの新聞サイトの記事を斜め読みしてみたら、ものすごい内容が書かれていて思わずのけぞってしまった。

「未知の言語で書かれた「ヴォイニッチ手稿」の筆者は、ゲオルク・フォン・リヒ テンシュタインIII世である」

ヴォイニッチ手稿」と言えば、真夜中に一人で見るのは正直怖くて仕方がないという感想がどうしても出て来てしまう。もういい年だというのに、トイレに行くのも怖くなってしまうほどだ。お恥ずかしい話ながら、こういう時にこそ頼もしいお兄さんお姐さんに添い寝をして欲しいと思ってしまうほどだ。それほどの「ビビリ」なのだが、わたしがこうした子どもじみた感想を抱いてしまうのは、延々と文字のような文様と薄気味悪い絵が大量に描かれていて、何らかの意味を感じさせはするものの、具体的には何が書かれているかが皆目分からないからこそであろう。そうした恐怖心もととなっているのはやはり、手稿に延々と記されている謎めいた模様は文字なのか、あるいは文様に過ぎないのか、そしてかりにそれが文字であるとすれば、当の文字を用いて何を書いていたのか、そして一連の文章を書いた筆者が誰なのか——という、ごく基本的な問題に他ならない。人は、たったこれだけのことで訳が分かりそうでまったく分からないと思うものだし、そうした訳が分かりそうで分からないと感じてしまうものには恐怖心を抱いてしまうものなのだ。

あの文字列、あるいは文様は果たして意味を成す言葉なのか、あるいは単なる出鱈目な文字列やイラストレーションの羅列に過ぎないのかという議論が、これまで行われてきた。意味を成す言葉であると提唱する研究者たちは、ある種の人工言語であるという説や、フラマン語に基づくクレオール言語であるという説や、セム語族に属する言語であるという説などをこれまで提唱してきた。最近だと、ロシアの数学者たちが、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、そしていくらかのラテン語を混合したものだったのではないかというを提唱した。

一方、この文書の筆者が誰なのかという問題についても、さまざまな議論が行われてきた。ロジャー・ベーコン(1214-1294)やエドワード・ケリー(1555-1597)ではないかという説がしばしば提唱されてきたものの、決定的な答にはいまだ到達していない。

現時点では筆者はいまだに不明では…