時代に取り残された老害、筒井康隆

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」
じゃあツイートを消すな、堂々と残しておけバカ、の一言だ。件の消されたツイートが具体的にはいかなるものだったのかを知りたい方には、この方のツイート筒井氏の公式ウェブサイトを読んでいただきたい。
わたしは、中高生の頃に氏の短編小説や長編小説をいくつも読んで大いに楽しませてもらった。ブラックユーモアに満ち溢れたドタバタコメディの短篇を書く力や、言語実験を駆使しつつも澱みなく読めるエンタメ小説を仕立て上げてしまう手腕には、ものすごいものがあると今でも思う。そしてまた、もともと俳優を志していたというだけあって、自作の朗読も実にうまい。氏の名前と作品群の双方がこれからも残ってゆくかどうかは、わたしには正直分からない。だが、あの下劣極まりない発言だ。人としては、この御仁はしょせんはこの程度の底の浅いクズだということを如実に示している。
誤解していただきたくはないが、わたしは今回の愚昧な発言によって筒井氏の作品が封印されるべきであるとはまったく思っていない。この国では、作家と作品とが一直線に結び付けられがちである上に、作家や思想家が聖人君子であるべきであるなどと考えられがちだ(こうした思考が当たり前のものになってしまっているのは、文学をダシにした道徳教育でしかない「国語」教育を十代のうちに学校教育において仕込まれてしまった成果なのであろう)。だが、実際には、作家の実生活における出来事と当の作家が作り上げた世界とは、単純に「一対一対応」させてしまえるものでは決してない。また、洋の東西を問わず、優れた芸術作品や思想を世に問うた人間の多くが人格破綻者であったということを示すエピソードは、枚挙にいとまがない。だからこそ、作家や思想家が不祥事をしでかしたからと言って、作品を絶版にせよだとか、はたまた焚書にせよなどというのは、馬鹿げているとしか言いようがない。そのようなことを実際にやってしまっていたとすれば、文学者で言えばドストエフスキーや澁澤龍彦や井上ひさし、思想家だとルソーやマルクス、そして作曲家だとワーグナーやドビュッシーやスクリャービンなどといった、「どうしようもなく品性下劣なクズども」がものした優れた作品の数々は、今日のわたしたちにはまったく拝めなくなってしまっていたことであろう(今列挙した人たちの所業については、ウェブで適宜検索されたい。目を覆わんばかりの蛮行に満ち溢れている)。
とは言え、これまでに発表された作品が素晴らしいからと言って、当の作品の作者の愚かな言動が免罪されるとも思わない。作品の質とは別に、愚かな言動をしでかせばその場で当人をきちんとたしなめれば良い。それ以上でもなければ、それ以下でもない。だからこそ、氏の品性下劣な発言はどんどん批判されて然るべきなのだ。いっそのこと、かつて果たせなかった「断筆」を今度こそ実現されれば良いのに、とさえ思っている。

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