「私の名は。」あるいは「おれの名をいってみろ!!」

来月あたりに某商業誌に掲載していただけることになった翻訳のゲラを見直していたら、編集者の方がわたしの名前にきちんと振り仮名を打って下さっていた。小学生の頃から今に至るまで音読みで読み間違えられて不快な思いをしてきたので、編集者の方のちょっとした心遣いに嬉しくなった。院生の時に学会発表をした時には、最近定年退職されたある有名な研究者で、わたしと一字違いの方が発表すると思って来たのにと言われて頭から湯気が噴き出してしまいそうになったことが少なからずあった。そうした発語を行った主はもちろん冗談半分で言って来たのだろうが、中にはこちらのことをあたかも氏の「パチモン」であるかのような物言いをしてくる腐った脳味噌の持ち主もごくごく少数ながらいたりして、本当にむかついた。そんなわけで、そうした無神経な発言をしてきた輩には、あちらの方は温かいところの心なごむ音楽をご専門とされていますが、こちらは寒いところの暗くて重い音楽を専門としております。至らぬところだらけとは思いますが、どうかこちらのことも今後ともよろしくお願い致します−−という感じで、しごく慇懃に切り返していた。名前を読み間違えられたり、書き間違えられたり、あるいは似たような名前の持ち主と比べられたりするのは、とことん不愉快なことだ。

このようなことがあったおかげで、年とともに他人様の名前の読み方や表記法にはかなり神経質になっていった。ドイツ語に由来するチェコ人の苗字を仮名で表記する際には、今の話題とは別の問題ながら、いつも神経がすり減りそうになる。生きている人の場合だとどのように読むのですかと訊ねれば済むが、死んだ人の場合だと文献を引っくり返した末に名前の読み方に関する証言が見付からなかった場合には、チェコ人の間で慣例的になっている読み方に従ってカタカナ書きをする破目になってしまう。名前とその読み方はその人のアイデンティティにもかかわるのだから、わしの名前を音読みで読むなバカという話と同じ根っこの問題ではある。

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