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セクハラを受けたら、すぐに弁護士といっしょに警察へ行こう!

【スクープ】大阪大学教授の重大セクハラと「隠ぺい疑惑」を追及する!~「学生の性器を触る」「布団で添い寝」でも処分は休職一カ月…?

ま た 阪 大 か !

という感想を抱いてしまったが、性犯罪の被害に遭ったら証拠物件を揃えて弁護士と一緒に警察へ行くべしという一言に尽きる。学内のなんちゃらかんちゃら委員会に訴えても、専任教員どうしの馴れ合いの下でこの件でのようにものの見事にもみ消されてしまうに決まっている。ひどい場合には、訴えた学生がさらにひどい目に遭いかねない。

常日ごろ思うことながら、「セクハラ」という言葉は使わずに、単刀直入に「性犯罪」という言葉を使うべきだし、加害者に加害の事実があったと認められた際には遠慮会釈なく当の加害者を「性犯罪者」と呼んでやればよいし、それ相応の社会的制裁を受けていただくべきであろう。性暴力を働いた外道オスを罰するには、古代中国式の宮刑に処するのが理想的だが、残酷すぎるというのであれば、体内にGPSを埋め込むだけではなく、睾丸や陰茎を外科的に取り除いたのちに女性ホルモンも強制的に投与してやればよい(女性の性犯罪者については、残念ながら思いつかないのだが……)。もちろん、宮刑は人権という観点から見ると許されざることであることは承知の上だが、強姦などの性犯罪は、かりに被害者が命を失わなくとも、相手の心を殺してしまう所業だということを今一度思い起こされたい。その点において、性犯罪は「魂の殺人」なのだ。だからこそ、性犯罪に関する法体系の見直しも必要となろう。もしかすれば、アメリカの「ミーガン法」なども参考にできるかもしれない。

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西澤健一 オペラ『卍』世界初演(2017年11月17日)

西澤健一氏の作品を初めて耳にしたのは、チェコ留学から帰って来て大学院に復学した2003年頃のことだったと思う(正直に述べると、正確にはいつだったのか今では思い出せなくなってしまっている)。氏が開設していたウェブサイトにアップロードされていたピアノ・ソナタの自作自演音源をたまたま見付けたことが、氏の音楽を知るきっかけだったかと思う。今となっては懐しい Real Audio の低ビットレート音源で音質は悪かったものの、楽曲の骨格がとてもしっかりしている上に、実に熱い(と同時に実に暑苦しい)音楽にすっかり魅了されて、ファンになった。日本の芸術音楽の作曲家には失望することが多かったというのに、今でもこんなとてつもない才能の持ち主がいるものだ——とひたすら驚嘆し、感動したことを覚えている。また、折々に書かれた音楽やその他のことどもについての文章も内容が滅法面白い上に言葉も非常に巧みで、時間を忘れて貪り読んでいた。そんなこんなで、作品の音源とともに、ブログに載せられた文章もいつしか RSS リーダーを使って小まめにチェックするようになっていた。

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TEAC CD-P800NTのリレー音問題が見事解決!

TEACのネットワークプレーヤ CD-P800NT のファームウェアをアップデートした。ついさっきまでは、同じディレクトリに格納した音源ファイルを連続で演奏させる際には、あるファイルの再生が済んで次のファイルを再生する直前に「カチッ」というリレー音が鳴る上にポーズも入るので、実に欝陶しかった。何も期待せずにファームウェアをアップデートしてみたところ、あの音がものの見事に消えた上に、シームレスな再生も可能となった。実に喜ばしい。

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本当はユーザーに対して不手際についてきちんと謝った上でリリースすべきではなかったかと思うので、かなりモヤモヤとしてはいる。とは言え、あのプレーヤを使う上での最大のネックが解決されたことは、本当に良かった。粗大ゴミにせずに済んだどころか、この問題がなくなってNASに溜め込んだ音楽を普通に気軽に流して楽しめるようになった上に、このプレーヤを他の人にもようやく素直に勧められるようになったのも、実に喜ばしいことだ。

「ヴォイニッチ手稿」に関する新説が、さらにもう一つ!

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「未知の言語で書かれた「ヴォイニッチ手稿」の筆者は、ゲオルク・フォン・リヒ テンシュタインIII世である」

ヴォイニッチ手稿」と言えば、真夜中に一人で見るのは正直怖くて仕方がないという感想がどうしても出て来てしまう。もういい年だというのに、トイレに行くのも怖くなってしまうほどだ。お恥ずかしい話ながら、こういう時にこそ頼もしいお兄さんお姐さんに添い寝をして欲しいと思ってしまうほどだ。それほどの「ビビリ」なのだが、わたしがこうした子どもじみた感想を抱いてしまうのは、延々と文字のような文様と薄気味悪い絵が大量に描かれていて、何らかの意味を感じさせはするものの、具体的には何が書かれているかが皆目分からないからこそであろう。そうした恐怖心もととなっているのはやはり、手稿に延々と記されている謎めいた模様は文字なのか、あるいは文様に過ぎないのか、そしてかりにそれが文字であるとすれば、当の文字を用いて何を書いていたのか、そして一連の文章を書いた筆者が誰なのか——という、ごく基本的な問題に他ならない。人は、たったこれだけのことで訳が分かりそうでまったく分からないと思うものだし、そうした訳が分かりそうで分からないと感じてしまうものには恐怖心を抱いてしまうものなのだ。

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