【再録】「孤独死」という概念の胡散臭さ

[おことわり: 以下の文章は、ココログに2015年10月1日付で公開した文章へ2017年6月20日に若干の加筆ならびに修正を加えたものです]

特殊清掃「戦う男たち」より「人の器」
わたしは人並みのコミュニケーション・スキルや甲斐性などには残念ながら恵まれていないので十中八九誰かと結婚したり同棲したり、あるいはある種のシェアハウスなどで誰かと共同生活を行ったりすることも一切なく一人で人生を静かに終えることになると予想していますし、今置かれている経済的な状態その他から考えると世間で言われているところの「孤独死」をしてしまうことがほぼ確定しています。ですから、仕事や約束事に穴を空けてしまったり、あるいは液状化無縁仏やそれを通り越して白骨死体になって周囲に迷惑をかけまくることによってようやく死んだことがまわりに知られることになると思います。だからこそというわけでもありませんが、このブログで言われていることに同意せずにはおれません。人は誰でも遅かれ早かれ死ぬ定めにあるというのに、なぜ死をことさらタブー視したがるのか、それから死ぬ時にはパートナーがいようといまいが、また誰かを巻き添えにしようがしまいが結局のところ人は一人で死んでゆくものですから、なぜ「孤独死」する人を悪者呼ばわりしなければならないのでしょうか。この方の文章にも触れられていましたが、近くで孤独死した人が出たというだけで引越すという人も少なからずいるとのことです。もしかして、こういう人たちは、自分たちだったら良い香りを周囲に漂わせる素敵で美しい遺体を残して美しい生を美しくまっとうできるとでも確信されているのでしょうか。いずれにせよ、「孤独死」という概念は、わたしには実に胡散臭いものに思えて仕方ありません。

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