スキップしてメイン コンテンツに移動

[雑記] [再録] エスペラントについて

実は、十代後半の頃にエスペラントの世界 Esperantio(エスペランティーオ) に片足を突っ込んでいたことがある。言語を通しての諸民族の平等と世界平和を祈念したザメンホフ博士の高邁なる理念に惹かれて――という訳ではまったくない。知的好奇心と言えば聞こえは良いが、一種の知的功名心とでも呼ばれるべき状態から手を出してみたというのが実際のところである。高校受験に備えて通っていたある進学塾の理科講師が授業中の雑談の折にチャペックの戯曲や小説を絶賛していたので、騙されたと思って岩波文庫から出ていた『山椒魚戦争』を買ってみたのがそもそものきっかけだった。中学生にとっては分厚い目の文庫本であり、しかも生硬な訳文が多いことでいまだ悪名高い岩波文庫から出されていたにもかかわらず、あっと言う間に読了してしまった。あまりに面白かったために、勉強がそっちのけになってしまったことは言うまでもない。話の中に、雨後の筍のように人工語が発表されていた20世紀初頭のヨーロッパを風刺するような一節があり、エスペラントについても言及されていた。翻訳をしたのは栗栖継(くりすけい)というエスペランティストでもあるチェコ文学者だ。日本でチェコ人の文物を研究している者にとっては、栗栖継は故・千野栄一と並ぶパイオニア的な存在である(と、少なくともわたしはそう思うのだが、他のチェコ研究者の方々がどのように考えておられるのかについては寡聞にして知らない)。読んでみて大変驚いたのは、文庫本での翻訳者によるものとしては異例の長さの解説が附せられていたことである。しかも、翻訳者によると解説は版を重ねるごとに増補していったとのことだ。さらに驚かされたのは、単にチェコで出版された文献を一人で集めて翻訳や註釈を作っていったのではなく、チェコのエスペランティストとの文通を通してこうした解説を書くことが可能となった――という点だった。栗栖氏自身がエスペランティストであるということもあって、人工国際語に関する件の一節への註釈には、当然のごとくエスペラントとその歴史に関する詳細な説明もあった。そこにはエスペラントで書かれた文も引用されており、書かれている内容とは関係なく魅力的な字面に思えた。それまで見たことのある横文字の補助記号と言えば、右上がりもしくは左上がりのアクセント記号やウムラウトくらいしかなかったものだから、子音字の上に補助記号が付いていた文字を持つエスペラントにはいやが応にもある種のエキゾティシズムをかきたてられた。当時は、受験があるために強制的にやらされる英語の他にもフランス語やドイツ語やロシア語を「粋がって」齧っていた。ほんの少しばかり齧ってはみたものの、結局のところは初等文法の途中であっさりと挫折してしまうということを幾度となく繰り返していた。そうしたこともあり、子音字の上に補助記号が付いた、この「エキゾティック」な言語を一度齧ってみたくなったのだ。さっそく書店で大学書林の『エスペラント四週間』を購入した。さすがにトルストイのように二時間で完全に習得することはできなかったものの、一月くらいで最後の方に載せられていた読物を何とか読めるようになった。いちおうは読めるようにはなったものの一人でやっていても面白くないので、日本エスペラント学会の機関紙を取り寄せて近くの町にある二つのエスペラント会に入会してみた。こうして、生身のエスペランチストたちと学部に入ったばかりの頃まで交流を持つようになった。


だが、結局のところ、エスペラントを国際補助語として広める「運動」に真面目にたずさわろうという気にはどうしてもなれなかった。言語の平等を通しての平和主義という考えは素晴らしいと思うものの、実際に運動にたずさわっている方々の「平和主義」というものが何かしら教条主義的なものに思えて仕方が無かった。当時は、この違和感が何に由来するのかがよく分からなかった。今思うと、おそらくはザメンホフの言行と1960年代あたりの進歩的知識人の思考回路とをセットにして神棚に崇め奉るような雰囲気を(少なくともわたしが出入りしていた)エスペラント界に感じ取ったからかもしれない。大学に入ると、ますますエスペラントに携わっている方々への違和感を覚えるようになった。しかも、入学してすぐに入ったピアノサークルには「ごくごく」少数ながらも同年代の好き者がいたために、彼らとピアノと楽譜と音源その他を肴にしつつ時間をだらだらと浪費することの方が断然楽しくなった。また、たまたま選択した数学の講義(受講者が多目に見積もっても2、30人程度という、マンモス私立大学ではかなりマイナーな部類に入るような科目だった)でいつも隣の席に座っていた男がかなりの現代音楽好きだということが分かり、すぐに意気投合した。そのため、事あるごとにどこかで落ち合っては馬鹿話に興じるようになった。こうしたこととも相俟って、エスペラントの世界からは完全に足が遠のいてしまった。学部の三年の頃だったと思うが、それまで入っていた会から会費を納入する旨を伝えた督促状が来た際に、それまで払っていなかった会費を全額払い込んでから退会することにした。会費を滞納していたことは社会人として実に情けない話であるという以前に決して許されることではないのだが、いずれにせよエスペラント界からはこれをきっかけにして完全に足を洗うに至った。


周囲にいたエスペランチストたちが抱いていた価値観には違和感を抱かずにはおれなかったものの、言語としてのエスペラントの構造は優れている――という感想は、今もってまったく変わらない。通常の民族語で行うのとまったく同じレヴェルのコミュニケーション(話し言葉であれ、書き言葉であれ)ができるような人工言語を作り上げる才能に関しては、彼の右に出る者はこれからも決して現れては来ないだろう。その点で、エスペラントは一つの立派な言語であるのみならずザメンホフの手になる「作品」――いな、「大傑作」――でもあると言っても過言ではなかろう。事実、大学受験に備えて英語でまとまった文章をでっち上げる練習をしていた際にも、また、大学に入ってからなりゆきでロシア語やチェコ語を、そして大学院に入ってから文献読みのためにドイツ語を一から学ぶ破目になってしまった際にも、周りにいた同輩たちに比べると苦労の度合はましな方だったと思う。もちろん、語学力自慢をしている訳では決してない。また、苦労をしなかったというわけではさらさらないし、それどころか実際には外国語にはずっと苦労をさせられっぱなしである。特に、単語を覚えることは年を食うにつれてますますひどい苦痛を伴う作業になっている。情けない話ながら、ドラえもんに頼み込んで「ホンヤクコンニャク」を大人買いしたいという気持ちが昔以上に強くなっているほどだ。とは言え、十代の頃にヨーロッパ諸語の「一番おいしいところ」を凝縮して作られたエスペラントを学んでいたことが、複数の欧語を学び始める際に何らかのかたちで――単に語彙や形態論や統語論の習得というレヴェルの他においても――役に立ったのかもしれない。(この辺の話題については、そのうち別の駄文を草するかもしれない。)

コメント

このブログの人気の投稿

西澤健一 オペラ『卍』世界初演(2017年11月17日)

西澤健一氏の作品を初めて耳にしたのは、チェコ留学から帰って来て大学院に復学した2003年頃のことだったと思う(正直に述べると、正確にはいつだったのか今では思い出せなくなってしまっている)。氏が開設していたウェブサイトにアップロードされていたピアノ・ソナタの自作自演音源をたまたま見付けたことが、氏の音楽を知るきっかけだったかと思う。今となっては懐しい Real Audio の低ビットレート音源で音質は悪かったものの、楽曲の骨格がとてもしっかりしている上に、実に熱い(と同時に実に暑苦しい)音楽にすっかり魅了されて、ファンになった。日本の芸術音楽の作曲家には失望することが多かったというのに、今でもこんなとてつもない才能の持ち主がいるものだ——とひたすら驚嘆し、感動したことを覚えている。また、折々に書かれた音楽やその他のことどもについての文章も内容が滅法面白い上に言葉も非常に巧みで、時間を忘れて貪り読んでいた。そんなこんなで、作品の音源とともに、ブログに載せられた文章もいつしか RSS リーダーを使って小まめにチェックするようになっていた。

西澤氏が自己紹介をする際には、「クラシックの作曲家」という言葉をしばしば用いている。現役の「クラシックの作曲家」と言えば、とかく難解で旋律や明確なリズムが存在しない訳の分からない、「音楽」と呼ぶのも憚られる代物ばかりを書いている人ではないか——という先入観を持たれる方も少なからずいらっしゃるかと思う。だが、西澤氏が現在書いている音楽は、そうしたものではまったくない。むしろ、明確な調やリズムを具えた実に美しく端正な旋律が横溢する音楽を書いている作曲家の一人である。一般にはあまり知られていないことだが、今日の芸術音楽の作曲家の中には、調性音楽をもっぱら書く人が増えつつある。こうしたことに鑑みると、現在の氏がもっぱら調性音楽を書いていることは、今となっては特段珍しいことでも何でもない。とは言え、それまでに聴いたことがあった、現役で活躍している芸術音楽の作曲家の手になる「聴きやすい」調性音楽と西澤氏が発表されている調性音楽との間には、きちんと言語化しにくいものの、どこか違ったものがあるのではないか——とずっと感じている。いわゆる「現代音楽」をかたくなに拒絶し、ありもしなかった「古き良き時代」を懐しむポーズを取っていたり、中世から今日に至るまで…

TEAC CD-P800NTのリレー音問題が見事解決!

TEACのネットワークプレーヤ CD-P800NT のファームウェアをアップデートした。ついさっきまでは、同じディレクトリに格納した音源ファイルを連続で演奏させる際には、あるファイルの再生が済んで次のファイルを再生する直前に「カチッ」というリレー音が鳴る上にポーズも入るので、実に欝陶しかった。何も期待せずにファームウェアをアップデートしてみたところ、あの音がものの見事に消えた上に、シームレスな再生も可能となった。実に喜ばしい。

仄聞したところによると、ユーザーのクレームに対してこの音は仕様ですと TEAC は言っていたとのことだ。2015年の時点で書かれたアマゾンのカスタマーレビューにも件のノイズは健在という旨が記されていたので、おそらくは2016年に出された最新のファームウェアで問題の根本的な解決が図られたのだろう(ファームウェアに関する説明には、なぜかこの問題への言及が一切なかった)。ネット上でも件の問題は動画付きで激しく批判されていたのだから、おそらくは電話などでの厳しいクレームもそれなりにたくさんあったものと思われる。

本当はユーザーに対して不手際についてきちんと謝った上でリリースすべきではなかったかと思うので、かなりモヤモヤとしてはいる。とは言え、あのプレーヤを使う上での最大のネックが解決されたことは、本当に良かった。粗大ゴミにせずに済んだどころか、この問題がなくなってNASに溜め込んだ音楽を普通に気軽に流して楽しめるようになった上に、このプレーヤを他の人にもようやく素直に勧められるようになったのも、実に喜ばしいことだ。

「ヴォイニッチ手稿」に関する新説が、さらにもう一つ!

学生の頃に入っていたサークル先輩から紹介されたチェコの新聞サイトの記事を斜め読みしてみたら、ものすごい内容が書かれていて思わずのけぞってしまった。

「未知の言語で書かれた「ヴォイニッチ手稿」の筆者は、ゲオルク・フォン・リヒ テンシュタインIII世である」

ヴォイニッチ手稿」と言えば、真夜中に一人で見るのは正直怖くて仕方がないという感想がどうしても出て来てしまう。もういい年だというのに、トイレに行くのも怖くなってしまうほどだ。お恥ずかしい話ながら、こういう時にこそ頼もしいお兄さんお姐さんに添い寝をして欲しいと思ってしまうほどだ。それほどの「ビビリ」なのだが、わたしがこうした子どもじみた感想を抱いてしまうのは、延々と文字のような文様と薄気味悪い絵が大量に描かれていて、何らかの意味を感じさせはするものの、具体的には何が書かれているかが皆目分からないからこそであろう。そうした恐怖心もととなっているのはやはり、手稿に延々と記されている謎めいた模様は文字なのか、あるいは文様に過ぎないのか、そしてかりにそれが文字であるとすれば、当の文字を用いて何を書いていたのか、そして一連の文章を書いた筆者が誰なのか——という、ごく基本的な問題に他ならない。人は、たったこれだけのことで訳が分かりそうでまったく分からないと思うものだし、そうした訳が分かりそうで分からないと感じてしまうものには恐怖心を抱いてしまうものなのだ。

あの文字列、あるいは文様は果たして意味を成す言葉なのか、あるいは単なる出鱈目な文字列やイラストレーションの羅列に過ぎないのかという議論が、これまで行われてきた。意味を成す言葉であると提唱する研究者たちは、ある種の人工言語であるという説や、フラマン語に基づくクレオール言語であるという説や、セム語族に属する言語であるという説などをこれまで提唱してきた。最近だと、ロシアの数学者たちが、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、そしていくらかのラテン語を混合したものだったのではないかというを提唱した。

一方、この文書の筆者が誰なのかという問題についても、さまざまな議論が行われてきた。ロジャー・ベーコン(1214-1294)やエドワード・ケリー(1555-1597)ではないかという説がしばしば提唱されてきたものの、決定的な答にはいまだ到達していない。

現時点では筆者はいまだに不明では…