2017年4月9日日曜日

TEAC CD-P800NTのリレー音問題が見事解決!

TEACのネットワークプレーヤCD-P800NTのファームウェアをアップデートした。ついさっきまでは、同じディレクトリに格納した音源ファイルを連続で演奏させる際には、あるファイルの再生が済んで次のファイルを再生する直前に「カチッ」というリレー音が鳴る上にポーズも入るので、実に欝陶しかった。何も期待せずにファームウェアをアップデートしてみたところ、あの音がものの見事に消えた上に、シームレスな再生も可能となった。実に喜ばしい。

仄聞したところによると、ユーザーのクレームに対してこの音は仕様ですとTEACは言っていたとのことだ。2015年の時点で書かれたアマゾンのカスタマーレビューにも件のノイズは健在という旨が記されていたので、おそらくは2016年に出された最新のファームウェアで問題の根本的な解決が図られたのだろう(ファームウェアに関する説明には、なぜかこの問題への言及が一切なかった)。ネット上でも件の問題は動画付きで激しく批判されていたのだから、おそらくは電話などでの厳しいクレームもそれなりにたくさんあったものと思われる。

本当はユーザーに対して不手際についてきちんと謝った上でリリースすべきではなかったかと思うので、かなりモヤモヤとしてはいる。とは言え、あのプレーヤを使う上での最大のネックが解決されたことは、本当に良かった。粗大ゴミにせずに済んだのだから。

時代に取り残された老害、筒井康隆

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」

じゃあツイートを消すな、堂々と残しておけバカ、の一言だ。件の消されたツイートが具体的にはいかなるものだったのかを知りたい方には、この方のツイート筒井氏の公式ウェブサイトを読んでいただきたい。

わたしは、中高生の頃に氏の短編小説や長編小説をいくつも読んで大いに楽しませてもらった。ブラックユーモアに満ち溢れたドタバタコメディの短篇を書く力や、言語実験を駆使しつつも澱みなく読めるエンタメ小説を仕立て上げてしまう手腕には、ものすごいものがあると今でも思う。そしてまた、もともと俳優を志していたというだけあって、自作の朗読も実にうまい。氏の名前と作品群の双方がこれからも残ってゆくかどうかは、わたしには正直分からない。だが、あの下劣極まりない発言だ。人としては、この御仁はしょせんはこの程度の底の浅いクズだということを如実に示している。

誤解していただきたくはないが、わたしは今回の愚昧な発言によって筒井氏の作品が封印されるべきであるとはまったく思っていない。この国では、作家と作品とが一直線に結び付けられがちである上に、作家や思想家が聖人君子であるべきであるなどと考えられがちだ(こうした思考が当たり前のものになってしまっているのは、文学をダシにした道徳教育でしかない「国語」教育を十代のうちに学校教育において仕込まれてしまった成果なのであろう)。だが、実際には、作家の実生活における出来事と当の作家が作り上げた世界とは、単純に「一対一対応」させてしまえるものでは決してない。また、洋の東西を問わず、優れた芸術作品や思想を世に問うた人間の多くが人格破綻者であったということを示すエピソードは、枚挙にいとまがない。だからこそ、作家や思想家が不祥事をしでかしたからと言って、作品を絶版にせよだとか、はたまた焚書にせよなどというのは、馬鹿げているとしか言いようがない。そのようなことを実際にやってしまっていたとすれば、文学者で言えばドストエフスキーや澁澤龍彦や井上ひさし、思想家だとルソーやマルクス、そして作曲家だとワーグナーやドビュッシーやスクリャービンなどといった、「どうしようもなく品性下劣なクズども」がものした優れた作品の数々は、今日のわたしたちにはまったく拝めなくなってしまっていたことであろう(今列挙した人たちの所業については、ウェブで適宜検索されたい。目を覆わんばかりの蛮行に満ち溢れている)。

とは言え、これまでに発表された作品が素晴らしいからと言って、当の作品の作者の愚かな言動が免罪されるとも思わない。作品の質とは別に、愚かな言動をしでかせばその場で当人をきちんとたしなめれば良い。それ以上でもなければ、それ以下でもない。だからこそ、氏の品性下劣な発言はどんどん批判されて然るべきなのだ。いっそのこと、かつて果たせなかった「断筆」を今度こそ実現されれば良いのに、とさえ思っている。

「私の名は。」あるいは「おれの名をいってみろ!!」

来月あたりに某商業誌に掲載していただけることになった翻訳のゲラを見直していたら、編集者の方がわたしの名前にきちんと振り仮名を打って下さっていた。小学生の頃から今に至るまで音読みで読み間違えられて不快な思いをしてきたので、編集者の方のちょっとした心遣いに嬉しくなった。院生の時に学会発表をした時には、最近定年退職されたある有名な研究者で、わたしと一字違いの方が発表すると思って来たのにと言われて頭から湯気が噴き出してしまいそうになったことが少なからずあった。そうした発語を行った主はもちろん冗談半分で言って来たのだろうが、中にはこちらのことをあたかも氏の「パチモン」であるかのような物言いをしてくる腐った脳味噌の持ち主もごくごく少数ながらいたりして、本当にむかついた。そんなわけで、そうした無神経な発言をしてきた輩には、あちらの方は温かいところの心なごむ音楽をご専門とされていますが、こちらは寒いところの暗くて重い音楽を専門としております。至らぬところだらけとは思いますが、どうかこちらのことも今後ともよろしくお願い致します−−という感じで、しごく慇懃に切り返していた。名前を読み間違えられたり、書き間違えられたり、あるいは似たような名前の持ち主と比べられたりするのは、とことん不愉快なことだ。

このようなことがあったおかげで、年とともに他人様の名前の読み方や表記法にはかなり神経質になっていった。ドイツ語に由来するチェコ人の苗字を仮名で表記する際には、今の話題とは別の問題ながら、いつも神経がすり減りそうになる。生きている人の場合だとどのように読むのですかと訊ねれば済むが、死んだ人の場合だと文献を引っくり返した末に名前の読み方に関する証言が見付からなかった場合には、チェコ人の間で慣例的になっている読み方に従ってカタカナ書きをする破目になってしまう。名前とその読み方はその人のアイデンティティにもかかわるのだから、わしの名前を音読みで読むなバカという話と同じ根っこの問題ではある。

「治安維持法」再び!(怒)

「共謀罪」がスムーズに成立する背景 あの連中に投票した馬鹿な有権者を、わたしはとことん軽蔑する。わたしは、博愛主義者ではまったくない。己れの愚かさを反省しない連中には、今も昔もとことん冷たくできている(わたしなんざ、自分の不甲斐無さや馬鹿さを恥じない日など冗談抜きで一日たり...