2017年5月21日日曜日

「治安維持法」再び!(怒)

「共謀罪」がスムーズに成立する背景

あの連中に投票した馬鹿な有権者を、わたしはとことん軽蔑する。わたしは、博愛主義者ではまったくない。己れの愚かさを反省しない連中には、今も昔もとことん冷たくできている(わたしなんざ、自分の不甲斐無さや馬鹿さを恥じない日など冗談抜きで一日たりともない)。というわけで、GnuPGの使い方に慣れるようにするための準備作業をぼちぼち始めようと思う。メールの検閲はすでに行われているが、郵便物の検閲もそのうち普通にやられるようになるだろうて。

「自分は大丈夫」と思えない者や同調圧力を無視する者たちが真っ先にやられてゆくのだろう。なにせ、少数派や多数派とは毛色の異なる者を「左巻き」などという極めて愚劣な身体的比喩(立派な差別用語である!)をもって馬鹿扱いした上に貶めてしまうことがまかり通っている社会だ。ついでに言うと、ネトウヨどもはこうした差別用語を悪用して、自分たちの気に入らない政権批判をする人たちを「左翼」あるいは「サヨク」呼ばわりするだけでは足りず、十把一からげに「左巻き」呼ばわりさえしている惨状もある。そう考えると、わたしのような根っからのへそ曲がりでもあり、「左巻き」でもある者などは、きわめて危ないことになりかねない。「脱日」や国籍離脱の方法も考えなければならないだろうな。

「ものを書く」あるいは「言葉を換金する」ということの意味について

ひょんな理由からブログなどを通して月に数百万を稼いで地方の限界集落で悠々自適の生活を送っているという、その筋では非常に有名な方の文章の切れっぱしを昨日になって初めていくつか拾い読みをしてみたのだが、読んでみた際に最初に抱いたのは、この方と無数にいるであろうこの方のエピゴーネンの群れとが日夜垂れ流し続ける文字列こそが文筆業を知識集約的な業種から労働集約的な業種へと変質させているのではないか、もっと有体に言えば、文筆業そのものを破壊しているのではないかという感想だったのであって、読んでいるうちにご当人があまりにもものを考えていない様子がすぐに見えてきて猛烈に腹が立って来たことについては贅言の要もなかろう。

感謝は自発的にするものである

2分の1成人式、広がる 「感謝の言葉」苦にする子も

「感謝」は、自発的にするものであって周囲に強制されてするものではない。こんな単純なことも分からない自己愛の権化としか言いようのない白痴的な大人が増えてしまっているのだろう。子どもの受難は、続くばかりだ。今の子どもには、ひたすら同情するしかない。かりに両親が揃っていても憎しみの対象でしかないことも十分にあれば、片親しかいない、あるいは両親ともどもいなくなってしまったという子どもだっているだろう。そうした想像力さえも働かない馬鹿な大人が増えてしまっているということなのだろう。

このような気持ちが悪い上に愚劣でもあるイヴェントを開く暇があれば、大人は憎まれようと嫌われようとガキどもに思い切り勉強させてやれってんだ。自分で学び、考え、周囲の人といっしょに生きてゆける人間になれるよう手伝いをすることこそが、大人が子どもにしてやるべき最も大事なことであろうに。

2017年4月9日日曜日

TEAC CD-P800NTのリレー音問題が見事解決!

TEACのネットワークプレーヤCD-P800NTのファームウェアをアップデートした。ついさっきまでは、同じディレクトリに格納した音源ファイルを連続で演奏させる際には、あるファイルの再生が済んで次のファイルを再生する直前に「カチッ」というリレー音が鳴る上にポーズも入るので、実に欝陶しかった。何も期待せずにファームウェアをアップデートしてみたところ、あの音がものの見事に消えた上に、シームレスな再生も可能となった。実に喜ばしい。

仄聞したところによると、ユーザーのクレームに対してこの音は仕様ですとTEACは言っていたとのことだ。2015年の時点で書かれたアマゾンのカスタマーレビューにも件のノイズは健在という旨が記されていたので、おそらくは2016年に出された最新のファームウェアで問題の根本的な解決が図られたのだろう(ファームウェアに関する説明には、なぜかこの問題への言及が一切なかった)。ネット上でも件の問題は動画付きで激しく批判されていたのだから、おそらくは電話などでの厳しいクレームもそれなりにたくさんあったものと思われる。

本当はユーザーに対して不手際についてきちんと謝った上でリリースすべきではなかったかと思うので、かなりモヤモヤとしてはいる。とは言え、あのプレーヤを使う上での最大のネックが解決されたことは、本当に良かった。粗大ゴミにせずに済んだのだから。

時代に取り残された老害、筒井康隆

筒井康隆氏、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」

じゃあツイートを消すな、堂々と残しておけバカ、の一言だ。件の消されたツイートが具体的にはいかなるものだったのかを知りたい方には、この方のツイート筒井氏の公式ウェブサイトを読んでいただきたい。

わたしは、中高生の頃に氏の短編小説や長編小説をいくつも読んで大いに楽しませてもらった。ブラックユーモアに満ち溢れたドタバタコメディの短篇を書く力や、言語実験を駆使しつつも澱みなく読めるエンタメ小説を仕立て上げてしまう手腕には、ものすごいものがあると今でも思う。そしてまた、もともと俳優を志していたというだけあって、自作の朗読も実にうまい。氏の名前と作品群の双方がこれからも残ってゆくかどうかは、わたしには正直分からない。だが、あの下劣極まりない発言だ。人としては、この御仁はしょせんはこの程度の底の浅いクズだということを如実に示している。

誤解していただきたくはないが、わたしは今回の愚昧な発言によって筒井氏の作品が封印されるべきであるとはまったく思っていない。この国では、作家と作品とが一直線に結び付けられがちである上に、作家や思想家が聖人君子であるべきであるなどと考えられがちだ(こうした思考が当たり前のものになってしまっているのは、文学をダシにした道徳教育でしかない「国語」教育を十代のうちに学校教育において仕込まれてしまった成果なのであろう)。だが、実際には、作家の実生活における出来事と当の作家が作り上げた世界とは、単純に「一対一対応」させてしまえるものでは決してない。また、洋の東西を問わず、優れた芸術作品や思想を世に問うた人間の多くが人格破綻者であったということを示すエピソードは、枚挙にいとまがない。だからこそ、作家や思想家が不祥事をしでかしたからと言って、作品を絶版にせよだとか、はたまた焚書にせよなどというのは、馬鹿げているとしか言いようがない。そのようなことを実際にやってしまっていたとすれば、文学者で言えばドストエフスキーや澁澤龍彦や井上ひさし、思想家だとルソーやマルクス、そして作曲家だとワーグナーやドビュッシーやスクリャービンなどといった、「どうしようもなく品性下劣なクズども」がものした優れた作品の数々は、今日のわたしたちにはまったく拝めなくなってしまっていたことであろう(今列挙した人たちの所業については、ウェブで適宜検索されたい。目を覆わんばかりの蛮行に満ち溢れている)。

とは言え、これまでに発表された作品が素晴らしいからと言って、当の作品の作者の愚かな言動が免罪されるとも思わない。作品の質とは別に、愚かな言動をしでかせばその場で当人をきちんとたしなめれば良い。それ以上でもなければ、それ以下でもない。だからこそ、氏の品性下劣な発言はどんどん批判されて然るべきなのだ。いっそのこと、かつて果たせなかった「断筆」を今度こそ実現されれば良いのに、とさえ思っている。

「私の名は。」あるいは「おれの名をいってみろ!!」

来月あたりに某商業誌に掲載していただけることになった翻訳のゲラを見直していたら、編集者の方がわたしの名前にきちんと振り仮名を打って下さっていた。小学生の頃から今に至るまで音読みで読み間違えられて不快な思いをしてきたので、編集者の方のちょっとした心遣いに嬉しくなった。院生の時に学会発表をした時には、最近定年退職されたある有名な研究者で、わたしと一字違いの方が発表すると思って来たのにと言われて頭から湯気が噴き出してしまいそうになったことが少なからずあった。そうした発語を行った主はもちろん冗談半分で言って来たのだろうが、中にはこちらのことをあたかも氏の「パチモン」であるかのような物言いをしてくる腐った脳味噌の持ち主もごくごく少数ながらいたりして、本当にむかついた。そんなわけで、そうした無神経な発言をしてきた輩には、あちらの方は温かいところの心なごむ音楽をご専門とされていますが、こちらは寒いところの暗くて重い音楽を専門としております。至らぬところだらけとは思いますが、どうかこちらのことも今後ともよろしくお願い致します−−という感じで、しごく慇懃に切り返していた。名前を読み間違えられたり、書き間違えられたり、あるいは似たような名前の持ち主と比べられたりするのは、とことん不愉快なことだ。

このようなことがあったおかげで、年とともに他人様の名前の読み方や表記法にはかなり神経質になっていった。ドイツ語に由来するチェコ人の苗字を仮名で表記する際には、今の話題とは別の問題ながら、いつも神経がすり減りそうになる。生きている人の場合だとどのように読むのですかと訊ねれば済むが、死んだ人の場合だと文献を引っくり返した末に名前の読み方に関する証言が見付からなかった場合には、チェコ人の間で慣例的になっている読み方に従ってカタカナ書きをする破目になってしまう。名前とその読み方はその人のアイデンティティにもかかわるのだから、わしの名前を音読みで読むなバカという話と同じ根っこの問題ではある。

2017年2月24日金曜日

やる気のある若者は欧州の大学へ進学すべし!

行きたい大学がない 予備校の「裏メニュー」にすがる悲しい大学

予備校やそれに類する業者が私立大学の入試問題作成業務を肩代りしたり、推薦入学をした学生のリメディアル教育を請け負ったりしているということは、受験産業において口に糊している人間だったら誰でも知っている「公然の秘密」でしかありません。ですが、そうした話は、受験産業の外側にいる人たちには、あまりピンと来ない話でしょう。ですから、今日の日本の大学の中には自前で入試問題を作ることができずに外部の業者に丸投げしているところもあるという事実とその背景の双方を業界の外にいる人たちにも分かりやすく提示しているという意味でも、この記事はしっかりと書けていると思いました。

とは言え、ここでも言われているように、高校レヴェルの知識を踏まえたまっとうな入試問題を専任教員たちが自作できなくなりつつあったり(し、人的リソースと人件費の不足ゆえにそうした試験作成技術が若い世代の教員に継承されていない)、入試を実施して入学させた学生の世話をまともに見られないところにまで堕落しつつある上に、高校で学ぶべき内容でさえもまともに習得できていない学生が多い上に、少子化の影響で以前だと篩にかけられていた受験生をも授業料を払って下さる大事な「お客様」として大量に入学させざるを得なくなった結果、講義や演習のレヴェルもおしなべて低くなりつつある−−といった惨状をものの見事に示している、名目上は高等教育機関でしかない意味不明な場所に4年間あるいはそれ以上の期間にわたってとてつもない額の学費を貢ぎ続けたり、「奨学金」を自称した学生ローンを借りてまで通い続ける意味など、果たしてあるのだろうか−−という、きわめて素朴な疑問も同時に生じてしまいます。ですから、きわめて残念な話ではありますが、やる気のある高校生諸君には、語学や自分が関心を持っている領域に関わる科目をしっかりと勉強して、学費が無料、あるいはタダ同然である外国、特にヨーロッパ大陸の諸国(英語圏の国にある大学は絶対にやめておいた方が良いでしょう。学費を肩代わりしてくれたり、学費がタダになる給付型奨学金が豊富に用意されているとは言え、そうした奨学金に通らなければ自前でバカ高い学費を支払わされることになります)にある大学の学部に入学して一所懸命に勉強して卒業せよ、と声を大にして申し上げたい気持ちでいっぱいです。本来ならば、大学に進学する若い人たちは、これからの日本を背負ってゆくべき存在なのですから、国内の大学でしっかりとした教育が受けられるようにすべきだと思います。ですが、日本の大学の多くがこのような目も当てられない惨状にあると、国内の大学へ進学せよなどとは口が裂けても言えません。

2017年2月17日金曜日

青池保子『イブの息子たち』

イブの息子たち 全3巻 完結セット(白泉社文庫)

忙しいというのに、ついつい『イブの息子たち』の全巻を読破してしまった。あんなバカバカしい話の連続を大真面目に描き続けられるだけでも、青池氏はものすごい才能と筆力の持ち主だと思わずにはおれないし、70年代後半の少女漫画にはタブーがないに等しかったのだなとも思った。

具体的に書くとせっかくこれから読まれる方にとってはネタバレになってしまうのであえて学者風の物言いによって抽象化して書いておくだけにとどめておくが、この漫画ではジェンダーとセクシュアリティに関していろいろと問題のある表現が山ほど出てくる上に、その手の表現が物語の結構においてきわめて重要なキーとなっていることは、今日の観点から観るとかなり問題だとは思うし、今だと絶対にこのような作品を発表することは無理であろう。もちろん、そうしたことがらについてしっかりと留意しておくことは必要ではある(つまり、今日の観点から過去の作品を改竄したり断罪したりすべきではない)が、「ポリティカル・コレクトネス」など欝陶しいと言ってあの一連の微妙な問題の存在を否認してしまうこともまた、もっての他である(昨今の本朝においては、こういう馬鹿が幅を利かせつつあるのだが)。ともあれ、実際に読み始めてみると、ぐいぐいと読まされてしまう上に笑わされてしまうところが、実に恐ろしい。

そんなわけで、情報量過多であるだけではなく、とにもかくにも大真面目に不真面目なことをやり倒しているコメディが大好きな方には一読を強くおすすめする次第である。ただし、あまりにもバカバカしい話が延々と続くので、その辺は覚悟されたし。日本の往年のギャグマンガや、19世紀のロシア文学の古典や20世紀の不条理文学、それから1970年代の少女マンガのバタ臭い絵柄にある程度慣れている人だったら、まあ大丈夫だとは思うが。

セクハラを受けたら、すぐに弁護士といっしょに警察へ行こう!

【スクープ】大阪大学教授の重大セクハラと「隠ぺい疑惑」を追及する!~「学生の性器を触る」「布団で添い寝」でも処分は休職一カ月…?

ま た 阪 大 か !

という感想を抱いてしまったが、性犯罪の被害に遭ったら証拠物件を揃えて弁護士と一緒に警察へ行くべしという一言に尽きる。学内のなんちゃらかんちゃら委員会に訴えても、専任教員どうしの馴れ合いの下でこの件でのようにものの見事にもみ消されてしまうに決まっている。ひどい場合には、訴えた学生がさらにひどい目に遭いかねない。

常日ごろ思うことながら、「セクハラ」という言葉は使わずに、単刀直入に「性犯罪」という言葉を使うべきだし、加害者に加害の事実があったと認められた際には遠慮会釈なく当の加害者を「性犯罪者」と呼んでやればよいし、それ相応の社会的制裁を受けていただくべきであろう。性暴力を働いた外道オスを罰するには、古代中国式の宮刑に処するのが理想的だが、残酷すぎるというのであれば、体内にGPSを埋め込むだけではなく、睾丸や陰茎を外科的に取り除いたのちに女性ホルモンも強制的に投与してやればよい(女性の性犯罪者については、残念ながら思いつかないのだが……)。もちろん、宮刑は人権という観点から見ると許されざることであることは承知の上だが、強姦などの性犯罪は、かりに被害者が命を失わなくとも、相手の心を殺してしまう所業だということを今一度思い起こされたい。その点において、性犯罪は「魂の殺人」なのだ。だからこそ、性犯罪に関する法体系の見直しも必要となろう。もしかすれば、アメリカの「ミーガン法」なども参考にできるかもしれない。

2017年2月15日水曜日

良いチェコ日辞典や日チェコ辞典は、いつになったら現れるのか

http://www.lingea.cz/japonsky-velky-knizni-slovnik.html

日チェコ=チェコ日辞典がチェコの出版社から出されたとのことなのだが、はっきり言って買おうとは思わない。編者名を明記していないというだけで、信用ができない。また、見本をざっと見てみたところ、日本語のコロケーションが不自然であったり、実例を文単位であまり見せてくれていなかったり、語彙のチョイスに疑問を覚える内容であったり、またチェコ日の見本を見た感じだと動詞の不定形を示す際にもう一つの体(「たい」と読まれたし。言語学などの用語である「アスペクト」に相当する、スラヴ諸語に広く見られる概念)をきちんと明示していなかったりと、正直使いものにはならない。この辞書は、もちろん日本語を学んでいるチェコ語話者のために編まれたのだろうから、そうした情報は無駄だと判断されたのかもしれない。だが、この辞典は、日本語のネイティヴ・スピーカーは言うまでもなく、日本語の知識を媒介としてチェコ語を使う読者もまた買うことになろう(現在入手可能な日本語とチェコ語の対訳辞書は、残念ながら貧弱なものでしかないからだ)。そうすると、動詞の体のペアがきちんと明示されていないというだけで、利用価値が著しく落ちてしまう。動詞の体のペアがきちんと書かれているだけでチェコ語のノン・ネイティヴ・スピーカーがどれだけ助かるか、辞書を作る人にはしっかりと認識していただきたい。要するに、この出版社はニッチなニーズをきちんと読めなかったのか、あるいはあったところで完全に無視してしまったのだ。実にもったいない。もう少し頑張れば、この出版社は長期的にはより大きな利益が得られただろうに。

とまあ、せっかくの企画だったのに、残念極まりない。というわけで、対訳辞書を使う際には、まだまだイヴァン・ポルダウフ Ivan Poldauf の名著『チェコ英大辞典 Velký česko-anglický slovník』(この辞書は齋藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』に匹敵する名著だ。やや硬い目ながらも、訳語のチョイスが素晴らし過ぎる!)や科学アカデミーが出した4巻本(もしくは2巻本)の英チェコ辞典、それから2巻本のチェコ露辞典や6巻本の露チェコ辞典などに頼るしかなさそうだ。

高みの見物を決め込む自称社会学者について

https://twitter.com/p_sabbar/status/830678008323207168

「またやりよったか!」の一言です。わたしが問題の文章を読んだ時には、いかにもありがちな「普通の日本人」様の思考回路を皮肉っぽく手際良くまとめた後に、最後に社会学者っぽく解決策をそれっぽく見せているポーズを見せただけの、高みの見物にとどまるショーモナイ文章だなという感じがしたので、まったく腹も立ちませんでした。

本来ならば、やはり社会学者を名乗るからには、あの駄文に見られる皮肉や冷笑のトーンを排してもっと自分(たち)の寄って立つ位置をはっきりと示した表現にしないと、伝わるものもまったく伝わらないだろうに、とは思います。ですが、あの方がうん十年前からやらかしてきた今までのどうしようもない発言の数々に鑑みると(自閉症児に関する文章など、目を通しているうちに頭の血管が数本切れかねない酷い代物です)、あの方にそんなことを期待しても所詮は無駄かと思います。もうだいぶん以前から、あの方のことは「左派の曾野綾子」と見做しております。ですから、何を言っても蛙の面に何とやらだとは思います。

とは言え、あの方の文章には、ご本人の意図や文章の内容とは裏腹に、甚大なる影響力があります。下手をすると、排外主義者や新自由主義者らががこの記事を典拠として利用する可能性もなきにしもあらずです。ですから、彼女と同じぐらいに知名度の高い論客が、この記事で論じられている内容を一つ一つ分析し(「しばき」倒し)、新たな提言をし直す必要があると思います。

「治安維持法」再び!(怒)

「共謀罪」がスムーズに成立する背景 あの連中に投票した馬鹿な有権者を、わたしはとことん軽蔑する。わたしは、博愛主義者ではまったくない。己れの愚かさを反省しない連中には、今も昔もとことん冷たくできている(わたしなんざ、自分の不甲斐無さや馬鹿さを恥じない日など冗談抜きで一日たり...